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信仰のよりどころ(バスチャン屋敷、次兵衛岩)

更新日:2023年10月29日


バスチャン屋敷

↑深い林の中に隠れるように建っているバスチャン屋敷(長崎市新牧野町)

バスチャン屋敷

↑復元されたバスチャン屋敷の内部空間

バスチャン屋敷

↑バスチャン屋敷跡よりもさらに深い山奥に位置する次兵衛岩(長崎市神浦扇山町)

バスチャン屋敷

↑次兵衛へ行く途中にあるルルド

バスチャン屋敷

 日本で最初のキリシタン大名大村純忠(1533~1587)が治めていた長崎県外海地方では、キリシタンたちは徳川幕府が発布したキリシタン禁教令による1614年の長崎の教会弾圧にもめげず、根強く潜伏し、信仰生活を守り続けてきた。

 日本人伝道士バスチャンは外国人宣教師ジワン神父の弟子となり、長崎から外海まで伝道したと伝えられている。外海地方には今日でもキリシタンの信仰強める「バスチャンの歴」(カトリックの教会歴と日本の陰暦を組み合わせたもの)などが伝承されているほか、バスチャンが追ってを逃れるために隠れていた「バスチャン屋敷跡」がある。

 また、日本人司祭トマス次兵衛(金鍔次兵衛)は長崎奉行で働きながら、宣教師や信者らを励ましていた。しかし、正体が知られるとバスチャン同様に逃走を続けた。最後に隠れていた場所が「次兵衛岩」である。

 こうした場所は、キリシタン弾圧の中、潜伏して信仰を守り続けてきた外海地方のキリシタンの信仰のよりどころとして長く守り伝えられてきた。歴史的・文化的特徴を物語る伝承地は、長く深い闇の中で輝く、希望としての「光」を知覚する場所なのである。

(月刊誌『信徒の友』「聖なる光と祈りの空間」2014年06月号より)

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