映画コーナー寄稿『大いなる沈黙へ』
文・鈴木元彦
フィガロジャパン
雑誌『フィガロジャパン』に寄稿した内容は、以下になります。
本作品は世俗社会から隔絶されたフランス・アルプス山脈に立つグランド・シャルトルーズ修道院と、そこで暮らす修道士たちが神にすべてを捧げた祈りの生活を捉えたドキュメンタリー映画である。
グレーニング監督は、「音楽なし、ナレーションなし、照明なし、入れるのは監督のみ」という厳しい条件を逆手にとり、自然光としての光と影のみを用いて撮影している。
この作品は修道院を撮影したというよりも、映像が修道院そのものとなったと言える。どれほど耳を澄ませても聞こえてくるのが沈黙だけ。観客それぞれが自分を見つめ直すきっかけを与えてくれるに違いない。そして、修道士たちの生活を客観的に覗き見るというよりは、主観的にその場に居合わせているような気持ちを覚える。
内なる沈黙と対話し、静寂の中で静かな光を見出せた時、あなたは内面から光輝いている人であることを知るだろう。
本編の最後に、視力を喪失した老修道士が穏やかな表情で神について語っている。彼には自然光が見えていないが、「光の存在」である神は見えているのだろう。また、彼らにとっての死とは何か。神にすべてを捧げた生涯とは何か。
沈黙、祈り、労働という極めてシンプルで禁欲的な修道士の日々を体感できる映像は、薄暗い礼拝堂、沈黙の支配する空間、時折射し込む眩しい程の光、黒色に近い荒々しい床、目で見ることができない聖域としての聖壇等々の数多くの教会や修道院で過ごしてきた私を光で満ちた「聖なる空間」へと導くのであった。また、監督が修道院で生活しながら修道士を捉えたからこそ、祈りがしみこんだ映像であり、沈黙の「時」と「空間」を表現できたのである。
↑ 大入袋、感謝です!
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